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📊 アリエク経済学 #44

アリエク経済学44(デスクの上は、なぜ中国製ばかりなのか――失われた「世界と戦う」工業デザインの気概)

2026年8月10日|アリ推
アリエク経済学

当方はアリエクをザッピングするのが、半ば日課になっている。目的買いというより、店の棚を流し見するように、新着やランキングをただ眺める。すると、思いのほかビルドクオリティの高いガジェットに、何度も出くわす。削り出しのアルミ、手に取ったときのしっかりした重み、無駄のない造形——値段からは想像できない作りの良さに、つい手が伸びてしまう。

当方はデスクワークが中心だから、伸びる先は自然とデスク周りになる。キーボード、モニターライト、GaNの充電器、ケーブルオーガナイザー、スタンド、USBハブ——気づけば机の上の道具が、いつの間にか静かに入れ替わっている。そしてある日、ふと気づくのだ。この机の上にあるガジェットの、ほぼすべてが中国製だと。改めて見渡してみても、日本で作られたものは、ほとんど無い。

断っておくが、これは中国を持ち上げる話でも、日本を貶める話でもない。ただの事実として、当方の目の前にそう並んでいる、というだけのことだ。だが、その事実をじっと見つめていると、静かに一つの問いが立ち上がってくる。——日本の“ものづくり”は、いつからこの机の上に、見当たらなくなったのだろう。

昭和の記憶を手繰ってみる。ソニーのウォークマンは、ただの再生機ではなかった。「音楽を持ち歩く」という文化そのものを、世界に向けて売ったのだ。自動車もそうだった。壊れない、燃費が良い、そこに日本らしい緻密さと美意識を乗せて、世界中の街を走らせた。あの頃のプロダクトには、明確に「世界と戦う」という気概があった。国内で満足するのではなく、世界の真ん中で勝ちにいく——それを当然の前提として、物が設計されていた。

ひるがえって今、当方の机の上に、その気概を放つ日本製のコンシューマ・ガジェットが、正直、思い浮かばない。もちろん日本は今も、素材や部品、精密機械、産業用の領域では世界的に強い。だが、生活者が日々手に取り、指で触れ、毎日使う“完成品”のレイヤーで、世界を唸らせる日本発のガジェットは、めっきり見かけなくなった。強さが、目に見えない場所へと移ってしまったのだ。

なぜ、そうなったのか。ひとつは、内需に最適化しすぎたことだと当方は思う。国内の顧客だけを見て、国内の基準で、国内向けに作り込む。それはそれで丁寧で親切なのだが、いつの間にか“世界基準で見る”という視点そのものが、薄れていった。ガラパゴス、とはよく言ったもので、島の中だけで完結した最適化は、外の広い海に出た途端、通用しないことがある。かつては世界を見据えて作っていた国が、いつしか内側ばかりを向くようになった。

一方で、いま当方の机を占領している中国のガジェットは、最初から世界市場を前提に設計されている。Anker、DJI、Xiaomi——「工場」から出発したはずの彼らは、いつの間にか世界基準で勝負する“ブランド”へと育っていた。プロダクトのデザインも、パッケージも、サポート体制も、はじめからグローバルを狙っている。安さの裏側にあるのは、単なるコスト削減の努力ではなく、「世界の真ん中で勝ちにいく」という、かつて日本が確かに持っていたはずの、あの前提そのものだ。

アリエクという道具は、その現実を毎日、静かに突きつけてくる鏡のようなものだと当方は感じている。安いから買う——それは、ただの入り口にすぎない。棚を流し見しながら当方が本当に見せられているのは、世界基準でものを作り、世界基準でものを見る、という姿勢そのものである。日本がいま失いつつあるのは、価格競争力だけではないのかもしれない。世界の真ん中に立って物事を眺める、あの視点そのものではないか、と。

とはいえ、悲観して終わる話にはしたくない。かつての日本は、世界から貪欲に学んで這い上がった国だ。見下すのでも、卑下するのでもなく、いま世界基準で勝っている隣人の作法を、対等な目でよく観察して、良いところは取り入れればいい。机の上の小さなガジェット一つが、「お前は、世界基準で物を見ているか」と、静かに問いかけてくる。その問いにまっすぐ向き合うことこそ、次の“ものづくり日本”を取り戻す、たぶん最初の一歩なのだと当方は思う。

※あくまでも意見論評の範囲で~


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